まあ記念祭をしよう…って訳じゃあ無いのだが、ぼちぼちと、20周年記念「20年前を振り返ってみる」雑記は記してみようと思う。
手っとり早く…というか、単純に、20年前1997年の食べ歩きメモを見てみる。
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1997年 2月
「花背」
*角煮
*蛸天
*カレーうどん
*穴子天うどん
[AQ!]
山王コンサート帰り。
1997年 3月
「花背」
*蛸天
*角煮
*かきあげうどん
[AQ!]
葛飾コンサート帰り。
1997年12月
「花背」
*穴子天
*角煮
*かき揚げうどん
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2017年感想
ああ、この頃は花背なんだなあ…。
自分的には、90年代の仕事帰りクルマ深夜枠の大定番であった。(80年代は…なんだろ…恵比寿ラーメンか?(笑))
1997年…は多分もう、三軒茶屋で店舗化してたんだと思うが、元々は砧公園前にあった屋台…それも天麩羅をはじめとして豊富な品書を誇る大屋台であった。
此処のウドンは、猛烈に美味かった。…(ま、記憶の美化が何割かでもイイんだけど)ハンナリとして品格があって。天麩羅も。
ワシは「うどんが主食でない」(…から、豪華接待を受けて文春砲を浴びることもない(笑))ので、ウドンの話はテキトー極まりないのだが、
京都時代萬樹を別格とすれば最も好きなウドンだったかもしれない。(近年はまた、
銀座うどん…なんて素敵なモノとも出会ってしまうのだがw)
西のウドンの東への来襲…は、「第*次」と数えられないくらい度々あって、現在の東京のウドン事情は20年前からは考えられないくらい開明しているのであるが、ワシら世代の西からの使者の嚆矢は、花背じゃなかったかなあ…。
屋台から店舗、そして店舗も「夢吟坊」ブランドを増やし、一種の天下取りに成功する。その後、ご主人は趣味のラテン音楽(だっけかなあ)が嵩じて特殊な「専業追っかけ」かなんかになったんじゃなかったかなあ。
まあ「伝説 砧公園 花背」くらいでググると色々出てきそうだけど、こーゆーもんは「ググらないで書くことが重要」と小田嶋さんが言うので、そうしておこうw。